ぬるい、暴風雨

夢見悪くもない。

 

帰省カエル第二陣、よく鳴いているがまだ産卵はなし。

 

祖母の家は売れた後に3件のほっそい家が建ち、あっという間に売れて、車庫には違う車種の外車が1台ずつ収まった。

通勤でしばしば通る道にも同じような3件があり、そのうち端の一件はあらゆるスペースにぎっしりとバラの鉢が並んでいて春になると壮観なのだが、そっちに気を取られていつも視界に入っていなかった真ん中の家を、去年だったかある日ふと見たら自転車と車がパンクしたまま停まっていた。かなり長いこと空き家になっている様子だった。全然気が付かないことにも我ながら驚いたが、昼に通ったら何か違和感があった。玄関のドアの前に生協のトロ箱が三つ重ねて置いてあった。車はなくなっていたが自転車はパンクしたそのまま同じ場所に置いてあった。

風は強いが寒くはない、晴れ

また心の疲弊する夢。

友達と会うのだが心証を害してしまう、そこに友達の友達が現れ、そちらとのつながりが強いことを思い知らされる。

そういえばこのパターンの夢もよく見る。

敷地内にプールがある家に住んでいて、そこに漬かって遊んだりしてたのだが数日放っておくとすごく水が濁る。友達がそれに水を導入して、どんどん濁りがきれいになっていった。

昨日の気持ちの動きが反映されているなあ。

何かいい予兆だといいが。

 

さむくなーい、雨

よう降る。

 

昼、実家。小さいガマが一匹いた。

わが谷は緑なりき」を母に見せていた。素晴らしいなこりゃ。見入っちゃう。

文字の読めない母さんが、夫と末息子が広げた地図を見ながら兄貴たちの居場所を確認しているのに対して、「地図なんか見なくたってどこにいるかはわかる、家だ」と言うのとか。文学じゃん。まあ原作は文学だが。

あと牧師が人々に対してふるう弁舌の内容の今に通じすぎていることよ。「不適切にもほどがある!」の不倫アナウンサー回そのまま。

 

雨実によく降る。少しおさまったと思ったが帰りはまた暴風雨。

ガマがまた鳴いておる。一匹、余韻のあるたたずみ方をしていたので動画を取ってMちゃんに報告がてら送る。菓子折りを持ってNさんに謝りに行ったとか。Dさんが付き合ってくれたらしい。?となる。行くべきはどっちかというとサイゼとタクシー会社では。

 

「小さな村の小さなダンサー」を観る。タイトルが…だいぶ違った。

映像や演技は非常によかったのだが「事実か…事実なら仕方ないか…」と思わせる部分がところどころにあった。最後エリザベスのその後もちゃんと書いてあったのが救いっちゃ救い。

あと、(多分夢なんだけど)、詰め寄ってきた村人に対するお母さんの逆ギレぶりがよかった。さすが中国と思った。

突然のカイル・マクラクラン

全体主義国家の中での才能の存在の仕方が、自由主義国家とぜんぜん違うことをひしひしと感じる。

冬の寒さではない、雨

夕飯作成中、母に「チキンラン」。案の定大いに楽しむ。

成城石井の30個入り黒豚餃子、美味い。値段手ごろ。

それはそれとして、食費とんでもなくなっとる。私の家計圧迫されてんなこれ、と先月の支出合計をぢっと眺める。与党め…。

なんかぬるい、曇りのち雨

午後、弟一家来る。

甥っ子、お線香をあげるまではやるが、そのあとの予定を全然聞いていなかったらしく、おかんむり。思春期感がすごい。でも母に靴ベラを渡してくれと頼むとちゃんと渡してくれる。

見送ってからモッコウバラの伐ったやつをおろす。

隣の爺さまはハンディチェンソーを導入したらしかった。うらやましい。

 

TSUTAYAでうろうろしていたら時間がなくなったので、まりさんの展示は諦める。

三茶でデラシネラ。

大好きなんだけど眠くなる。フックがないからかも。緊張感が持続しない。

そのあと、K子さんと呑む。フロアの女の子はポーカーフェイスなのだが接客は丁寧で感じよかった。

寒いったら、雨のち曇り

終日、実家。

「3-4×10月」観る。

モッコウバラをやれる限りやる。

雨樋の上に積もった葉っぱも一掃する。

エクス・マキナ」観る。オッペンハイマーの名前が出てきた。最後花嫁衣装かと思ったら違うのねー。映像見事だな。ロケ地どこなんだろう。