あたたかい、晴れ

たろうすず健康診断。
朝連れて行って夕方回収する。
まだ何もされていないのに診療室の奥から響き渡る
すずの哀願愁訴の声を背に、獣医を出る。


花粉ひどい。
原美術館で佐藤雅晴「東京尾行」。
思った以上に面白かった。
じっと見ることで頭の中に広がるさまざまなこと。
「calling」は「アイアムアヒーロー」が
思い出されてならなかった。
2階でソフィ・カルの「限局性激痛」の
第2部が展示されていた。
これは嬉しかった。
ソフィ・カルの失恋の話
(そしてそれから立ち直っていく様子)と、
様々な人のこれまでの人生でもっともつらい体験が
交互に語られている。
とてつもない体験をした人ばかりでたじたじとなる。
理不尽な死があふれている。
そういう体験をした人を選んだのだろうか。
もっとも他愛ないのは、
幼いころトランプでインチキをして、
母親に「私はインチキをしました」と
書いたボール紙を背中に貼られたという話。




品達でラーメン食って、
バスで青山一丁目へ。
バスで爆睡して起きたら隣に座った高年夫人が、
「バスはよく眠れるわね」と話しかけてきた。
年に数回しかしっかりと眠れないという。
長女が早死にしたり、
自分でも病気があったりするせいなのよね。
他人に急に話しかける人は多くの場合不幸で、
自分が不幸だと思っていて
他人にその不幸を聞いてもらいたがっている。
のではないか?
これまででいちばん重かったのは、
道をたずねてきたおばあさんを送って行く道中に
戦時中に慰安婦をやらされて戦後も底辺で、
いまもつらいという話を聞かされたこと。
そうやって他人に毒を回収してもらって
ほんの少し楽になるのだろうか。
それならそれでいい。
私は逆に眠れないことは年に
数回しかないですねーと返した。
それに少し腹が立ったらしく
「幸せなのね。
幸せな人はそのありがたさがわからないのよ」
と言ってきた。
確かにまあ不幸ではない。
反面、別に幸せでもないと思うけどな。
けど今冴えないのは自分が何かを
手に入れようと努力してないせいだ。
ご婦人の降りぎわに「よく眠れますように」と声をかけた。
笑って「ありがとう」と言って降りて行った。





友人のグループ展に顔を出し、
話しているうちに迎えの時間が来てしまったので
帰路。



2犬ともほぼ無罪放免で胸をなでおろす。
少し待たされそうだったので母とすずは先に帰る。
すずは500メートルほどの道のりを
ほとんど走って帰ったという。