滅多に通らない路地を通ってスーパーに向かった。
マンションの門の前の路上に痩せた老婆が不安げにうずくまっている。
どこかから来てしまった迷子だったらまずいと思い、声をかけた。マンションの住人だった。娘が帰ってこないと不安になって外に出たらめまいがして動けなくなってしまったという。部屋に戻ればいろいろわかると手を引っ張られる。少し恐怖があった。
(「クリーピー」を観た余韻で、北九州の家族監禁殺害事件をじっくり調べてしまったあとだったからだ)
部屋のドアの内側に貼ってあったデイケアセンターの番号に電話したが、担当が席を外していると言われて折り返しの電話を待つ間、玄関のたたきに立っておばあさんの話を聞いた。
八畳ほどのワンルームの部屋は家具らしい家具がなく、洗剤のボトルが奥の窓の前に置いてあって、手前には擦り切れた布団というかタオルケットが広げてあって、殺風景で、汚くはなかった。
おばあさんは娘さんがどこに行ったかわからなくて心配で、悪い男と別れたので幸せな結婚をしてくれることだけを望んでいる。自分も旦那と別れた。
「娘がどこに行っちゃったのかわからなくて」と細い声で言うから「仕事じゃないですか」と答えても、その答えはおばあさんのどこにも響かない。不安と疑問が既に彼女の頭の周りを高速回転していて、他人の声なんか全部はじかれてしまうのだ。
西新宿に実家があると言って、ところ番地を全部言った。それを二回。いちばん大事な記憶は全部そこにあるのかもしれない。
おばあさんを安心させる話術とか手管とかあればいいのにと思いながらなるべく笑顔でいた。
10数分後にかかってきた電話でデイケアセンターの担当は、「引き取ってくださって結構です」と少し強めに言った。あちらはあちらでいろいろあるのだろう。
動揺したままマンションを出て路地を出たら、最近できたなと思っていた新しいギャラリーで、昔塾に通っていたころにゲスト講師として教えに来ていた女性のイラストレーターの個展をやっていた。
ふらふらと入って絵に癒され、更にギャラリーの女性二人としゃべって、気が楽になった。
あのようにして行き暮れた老人が路上にあふれている未来を妄想した。
その中には自分もいるのだ。