6時半起床、倉敷へ。
玄関に見送りに来た母が「いいところだよー」と言う。


新幹線はほぼ満席。名古屋から乗ってきた隣の女の子はずっと寝ていた。
帰りも隣は若い女の子(かわいい)だった。一心不乱にMacBookを使っていて、窓側席の私が来たのにも一瞬気がつかず、気がついて慌てるあまり、MacBookを派手に落っことした。
そのあともプレモルの500缶を呑みつつMacBookスマホを交互にいじりながらすごい勢いで何か作業していた。
チラチラとのぞいてしまったが、旅行の計画っぽかった。


11時半ごろ倉敷着。開演は14時なのでぷらぷらする。
あらかじめ送ってくれた倉敷ガイドマップに蟲文庫が載っていたので喜んで行く。閉まっていた。「蟹と歩くに行っています」という張り紙があった。11時の公演だ。
目抜き通りと言うかいわゆる観光の目玉ゾーンの通りに店があるのが意外だった。カモメちゃんの実家の通りにも同じような感じで本屋があったな。
20代には見えない厚化粧で袴を着た女性がいた。中国語をしゃべっていた。和服着用サービスを利用している人だった。
人力車もよく走っていた。
大原美術館へ行く。悪魔のしるしのガイドマップに、見終わると美術史を一通り見た気になると書いてあったが本当にそうだった。
熊谷守一が亡くなった娘を描いてそれきりしばらく絵が描けなくなったという作品があった。ここにか!という驚きと、死が連鎖しているという気持ちでしばらく絵の前から動けない。



公演会場の市立美術館へ。
入場待ちをしている人たちは明るい。
公演そのものも悪魔のしるしだなあと思った。終わり方が最高だった。
「こりゃたまらん」、「アディオス!」
関係者でもないので後ろのほうで控えめに見ようと思っていたのだが、ど真ん中の最前列が空いていたのにためらわず座ってしまった。
始まる前に「泣いちゃうかな」「泣くよね」と言っていた真後ろの女の子数名連れは、ご兄弟による前節の段階ですでに号泣していた。そしてまた、よく笑ってもいた。心が健康だった。
パンフレットに焼香できる場所の案内が載っていたが、なんとなく違う気がして行かずに蟲文庫へ向かった。私は大好きな演出家が直接かかわった最後の舞台というものを見に来たのであって、お弔いに来たわけではないのだ。
蟲文庫の店内でも、そのあと入ったパン屋でも、公演に行ったらしき人々の話が聞こえてきた。
ガイドマップに載っていた行列のできるとんかつ屋(公演前に通ったときは本当に行列ができていた)は昼休みに入っていたので、やはりガイドマップに載っていた神戸屋でポークカツカレー。ぺろり。
ここでもテーブルの二つは公演帰りの人たちで、聞くともなく会話を聞いた。
あとでTwitterを見ると、危口さんはここのポークカツカレーをパーフェクトと言っていたと書いている人がいて、導かれたようだと思う。私個人のことではなく、なんとなくこう、この週末の倉敷全体をなにかそいうものが覆っていたように思う。


蟲文庫
雑誌「地下室」1号
山口仲美先生「犬は「びよ」と鳴いていた」
ソルジェニーツィンイワン・デニーソヴィチの一日