いつもよりは早めに起きて、あれこれやったのちバスで古着を出しに行く。
古着はポリ袋に入れて出すのだが、さすがにそのままバスに乗るのははばかられて紙袋二つに入れていった。
係りの人にポリ袋を渡した後、紙袋を畳んでいたら捨てときますよと言ってくれた。
ありがたく渡して歩き出すと、角でおばさん二人とおじさん一人がいて、おじさんが「これ一つでいいんですね」とどちらかのおばさんの古着が入ったビニール袋を手にして回収所に歩き出し、おばさん二人は謝りあっていた。片方のおばさんは片手を抑えて振っていて、二人の前には自転車が2台あり、出合い頭にぶつかったようだった。謝りあえるというのはいいな。


ちょっと歩いて大通りまで出て、有名なカフェで昼飯。
先客の連れているビーグルがこっちを向いて座っていた。すっかり退屈している。コーヒーを挽く音が響き渡ったらビクッとしてあたりを見回していた。音が止まった時に私のことをじっと見た。あの音をたてたのは私ではないぞ。
電車で戻る。懐かしのケーキ屋がそういえばあったので、つい実家にケーキを買ってしまう。高い。こういうことをするから金が飛んでいく。


冷蔵庫にケーキを入れて、近くの美術館へ行く。
2室ある。2室目に行く前に、入り口前のベンチで展示作品リストにメモをつけていたら監視員の女性がバインダーを貸してくれた。シャーペンを使っていたので、鉛筆以外は禁止なんですと言って鉛筆も貸してくれた。鉛筆は持っていたが素直に借りた。


江戸時代に、自分が持っている筆の解説本を作った人がいて、筆の図と、漢語の(たぶん)素材などの説明とで図鑑のようになっている。
本来の用途から考えたら筆の書き味とか、筆跡みたいなものが見たいと思うが、筆本体の見た目についてしか書いていないのが本末転倒な感じで面白い。
墨もさまざまな浮彫(型押しだけど。なんというのだろう?)があって美しいけれど使えばなくなる。
硯は石の美しさを生かしたいのかほとんど平らみたいなのもある。
水彩のにじみを木版で再現したもの。
なんかいろいろ面白い。
2室目はこれら道具を美術館に寄贈した書家の作品が展示してあって、もう全然文字じゃなくて抽象画みたいになっていて、1室目の本末転倒感が極まれりという感じでわくわくした。こうなると文字であることはもはやきっかけにすぎない。


庭園も散策。想像以上に広かった。
家族連れ一組と、管理しているらしきおじさん二人にしか会わなかった。
せせらぎもあるし池もある。湧水をうけるつくばいもある。
こりゃ贅沢な場所だ。


部屋に戻り、作業して、夜実家。父はすでに寝ていた。