涼しいと言っても過言ではない、曇り

5時半ぐらいかな?とiPhoneを見たらいつも出る時間の10分前だった。

超特急で頭を洗って飛び出して、遅刻せず着いた。これも登山のたまもの。

 

昼、いつもの中華屋で料理を待つ間に市原佐都子「マミトの天使」の「マミトの天使」を読んでいたら、急に飼い犬に自分のウンコをかじられて尻の穴を舐められる描写が出てきて、秒速で閉じた。なかなか油断できない。ゆうべもすっかり油断して夕飯食べながら「ストレンジャー・シングス」の7・8話を観ていたらドロドロのグチョグチョの肉塊にやられた。

「マミトの天使」、執拗な反復がマームとジプシーの子孫という感じがした。他人の整理のついてない頭の中に入ってその人の思念にまみれる感じは初期の川上未映子っぽかったり、更にさかのぼると笙野頼子になるのかな。純文学をそんなに読んでいないからアレだけど。こういうなんというかやたら魅力的なゲロ、みたいな作品は女性作家に多い気がする。でも町田康もそうかな。

ぱっとしない人々に対する憎しみ、同族嫌悪、線引きみたいなものがある。わざとだろうか。

 

 

夜、実家。

昨日買ったchromecast ultra使ってみる。

ときどき反応が遅いがおおむね問題なし。

「シェフのテーブル」第1回。

動物のお医者さん」2話以降。母は大笑いして観ている。父は寝てしまった。

姉が帰ってきて、母も寝たので部屋に帰る。

 

 

「シェフのテーブル」はアメリカのジョージア州サバンナで南部料理を作っている黒人女性シェフ。彼女の両親はバスの乗り分けなどの人種差別的習慣がバリバリ残っているときの人たちで、上昇志向を持ってニューヨークに移住し猛烈に働き勉強して今の生活を手に入れた。捨ててきた故郷の南部料理はいわば屈辱の象徴だ。娘が南部料理を作り始めたことに最初は抵抗があったという話。料理は美しくおいしそうだったが、そっちの話の方も非常に印象に残った。

私はたぶんこの人たちに会っても普通に接するだろうし、だいたいの(不愉快な態度を取ってこない)人たちとはずいぶんフラットに付き合えるつもりでいるけれど、では白人相手はどうかということで、相手に好かれる喜ばれる努力を非常にするのではないか?つまり下からの気持ちで。気おくれがするのではないか。向こうの方が優れている前提で関わるのではないか。お気に召していただけるようにがんばるのではないか。下に見るというところだけではなく、上に見るというところからも自分の差別意識はあぶりだされるのではないか。などということを実家から部屋までの道でふと考えた。

月は雲に取り巻かれて非常に美しく、上にある。