覚えていない、晴れ

父はまた症状というか弱りが一段階進んだように見える。

昼、クリニックから食事の仕方を教えてくれる人が来る。しかし本人は眠そうだしあまりやってもらえることはなかった。

夜、ペースト食などを提供する。しばしば噎せ、一度吐くのか?!みたいな顔になった。原因は不明。それでまた姉がパニックになったのか、キレてすべて私の不注意だといったようなことを言い、更に気持ちを落ち着けさせようと笑いの方向に持っていったのも不謹慎だとののしってきた。のでここで我慢したらもうだめだと思い怒鳴り返した。父を挟んで。姉は怯んで「なぜ怒鳴る」といったようなことを言った。今自分が怒鳴ったことはカウントされないらしい。母は「オマエラマダヤッテンノカ」と言いたげに嬉しそうに笑っていた。

slackに「綾と私のいさかい」と書いていたが、そして以前にもキレて当たってくるのに私が言い返したときにそれを小競り合いと呼んだが、こちらとしてはサンドバッグが我慢するのをやめただけのことだ。

父はしかしショックだったのかなんなのか、この夜は私が行くと狸寝入りをするようになった。

21時ごろ看護師さん来て見てくれる。蘇生用の器具など大量に持参しての登場だったがそのころには症状が落ち着いていてありがたくも申し訳なかった。

 

このあと、姉は目に見えてあたりが柔らかくなった。箪笥の上にあったマットレスを一緒に2回に運ぶ。

自分が自発的にやったこと言ったことに対して感情的にそして条件反射的に否定して来られないというのは本当に心安らかなことだ。

 

 

パンツ3本の補正やる。

遅くなったのでマスクには着手せず。

テレビをほぼ観なかった。