寒くないのではなく寒く感じないだけかもしれない、晴れ

昼、郵便局に行くべく自転車を走らせていると犬の散歩が結構いた。久々の晴れだからだろうか。

公園の近くで歩いていた小型犬が急に座り込んでてこでも動かぬ構え。飼い主、立ち止まって促すが聞く耳持たず。小型犬が珍しいなーと通り過ぎて100メートルほど行ったところで今度は柴犬が座り込みをしていた。しかもリードのひもに片手をかけている。ちょうど角にいたので回り込んで3度見ぐらいした。おじいさんが連れていた。

写真を撮らせてもらえばよかったかと思いつつ、なんかそういうのはなというのもあり、記憶にがっちり焼き付けて、戻ってから速攻で描いて速攻でインスタにあげた。

そうしたらその絵を欲しいと友達から連絡が。

嬉しい。

そして欠勤代を惜しんで明日出勤しようと思っていたけど休むか?と迷いが出る。

 

「マイ・ブック・ショップ」まだ借りられている。

 

夜、「私のちいさなお葬式」を観る。ロシア映画

以下ネタバレあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パッケージはかわいらしいが、結構ハードボイルドおばあちゃんだった。

映像もよくて、テンポもよくて、非常に楽しい。

迷いのないサバっとした人物と思わせて、息子へ対する愛情とか弱さとかがちらちらするのがなんだか深い。

けど、息子の付き合う相手にも口を出して、人生をコントロールして、いいのかそれは…とモヤっとする。お国柄の違いなんだろうか。最初に息子が帰ってきたときは、話を聞かないし全部自分でやるし、強権的な母親を前にして息子は無力感や無能感をずっと感じてきたのではないかと思って観ていた。たぶん自分を重ねていた。

かつての教え子でもある息子の元カノがアル中のホームレスになってて、雑貨屋の前で男と取っ組み合いの喧嘩をしてたりしても、それは(物語的にも)スルーだったり。

最後のシーンで息子は多分ふるさとに帰ることを選んでいた。それをよしとするのかーと不思議だ。帰って来たところで、息子が幸せに生きて行けそうな描写が特になかったからだろうか。あの元カノとよりを戻して、元カノはアル中を克服して、という感じだろうか。

価値観の違いなんだろうか。そしてそれはロシアと日本の違いなのか、監督個人と私個人の違いなのか。

鯉の描き方が好きだった。ブリキのたらいに水を張った中にいて、体の色もチャコールグレーだからよく見えない。ノルシュテインの「霧に包まれたハリネズミ」の魚から来てるんじゃないだろうか。そうじゃなくて、あちらの魚の描き方や見方がこういう方向性なんだろうか。アニマルライツ的にはちょっと心配だ。何匹か死んでそう。

村の様子がまみさんがレポートしていたウデヘの村に似ていた。どのへんなんだろうか。

墓地のシーンも、あちらの墓はこうなのかーと興味深かった。

それから友達4人がどやどややってくるシーン、とてもよかった。それぞれ性格が立っていて。かつて少女として友人だった人々が年を重ねた、というのが感じられて。「純情クレイジーフルーツ」みたいで。

監督のウラジーミル・͡͡コットは「草原の実験」のアレクサンドル・コットと双子(!)。