昼、パンとコーヒー牛乳を買って穴場へ。最初貸し切り。女性が一人来たが、すぐに降りて行った。
階段が危ないので小さい子連れも来るまいて、しめしめと思うそばから、赤子を背負って幼児を連れたお母さんが上ってきた。少しいたが、座らず去る。
食べ終わるころに中年夫婦が来た。
空間が狭いから、挨拶ぐらいしたほうがいいのだろうかとか、迷う。アメリカならハーイとか言うだろう。少なくとも子供には。
Iさんと出るのが一緒だったので、角まで一緒に歩く。プールに行くとか別に言わんでもいいことを言ってしまった。
プールはいつもより混んでいた。30分ぐいぐい泳げた。
帰り道、母が不穏というLINE。今回は早く帰れとかはなく、収束までキレることなく対応できていた。姉の成長。
夜、パンツベルト付けまで。やっぱり本体のウエストが長くなってしまう。詰め気味に縫えばいいのだろうか。
新潮3月号の「どうしたらよかったか?」の監督がその後について書いているのを読む。図書館で取寄せをして、届いたときにはどうして借りたかったのか忘れていたのだが、今日表紙のタイトルを見て、そうだったと思い出した。
何のために撮影したものだったのかということ。弟が姉を助けようとし続けていたこと。ある時点でそれがもはやかなわないとわかったこと。自分の家族は間に合わなかったが、他の似たような家庭にとって何かの役に立つことを希望として世に送り出された、献体のような映画。姉が優しいということ。アイヌの権利についてずっとドキュメンタリーを作り続けているが、それはなかなか日の目を見ないこと。