風強くますますあったかい、晴れ
母誕生日。
モッコウバラをなんとかする。
梅の木の上方に絡んだやつはなんとかならない。
紫木蓮は近くで見たら開いた花は食い荒らされていた。多分ヒヨに。白木蓮は食べられない。屋根の上で格闘している間に下を西洋人のカップルが通り、女性の方が連れに「モクレン?」と聞いていた。
部屋から持ってきた「カオス・シチリア物語」を観る。本当に何度見ても好きだ。
優れているとかどうとかは私には言えない。とにかく好きだ。
チョコレートケーキでお茶。
それから醍醐の蒸し寿司を受け取りに行く。
無事戻ってきて、あと澄まし汁に蕪の葉っぱを入れるだけ、というところで姉が「母がいない」とやってきた。数分前にトイレに行くと立ったはずだが確かに外出している。
リュックひっかけて自転車に飛び乗る。
それから約30分は探し回り、ようやく母校の中学校裏で遭遇した。さすがに声に怒気が含まれてしまう。
いい運動にはなった。いつもだったら口に出してそう伝えるところだが、言いたくなさがあった。
母はしきりにありがたがったり自転車を妙に褒めたりする。「ここがいやだとかなんだとかはないんだけどなんかふっと出てしまった」と自分から言う。
とにかく無事戻り、晩餐。
「カオス・シチリア物語」の最後のエピソードで、もう亡くなっている母との対話の中で「母さんが死んでしまって、自分を思ってくれている人がいなくなった」と作家が言うシーンがあった。本当にその通りだな。
いよいよあったかい、晴れ
スティッコリーがちっこい花房をつけていたのですかさず取って食う。
ミズキンバイ移動。種少し撒く。
自分の動きが活発。
「ゴジラー1.0」と「ドッグマン」を観る。
以下ネタバレ。
「ゴジラ」が思いがけずとてもよかった。というか、これまで日本の特撮と言えばクソみたいな情緒的かつ手あかのついた陳腐な内容というイメージがあったので、そのへんがずいぶん払しょくされていた。「シン・ゴジラ」のおかげだろうか。
おまえの戦争終わってからじゃなくて一緒に終わらせればいいじゃんとか、電車の車両が吹っ飛んできてからゴジラが目の前に出てくるけどゴジラの脅威感てあの丘の向こうからあり得ないでかさの生き物が頭を出すとこからじゃん?建物の向こうにゴジラ見えるはずじゃん?そこ描いてほしいが?とか、一回目の上陸の後の対応そんなん?とか、「ダンケルク」シーンの連結には時間ずいぶん取られたのではとか、最後あんな目に遭ったにしては肌きれいすぎん?とかちょこちょこ気にはなったが、よかった。
焼け跡から少しずつ家を作り直していく描写もよかったし、戦闘機の神木隆之介がゴジラに向ける目つきの絶対コロス感もよかったし、静岡の犬が勇敢に吠えかかってたのもよかった。
「ドッグマン」は孤独な特殊業務の男と行き場のない生き物の共生、狭小空間に攻め込んでくる悪いやつらとの戦闘と殲滅、主人公の大の字死、という点で「レオン」と被ってた。
あったかいが1ミリ、晴れ
近所の、前を通るといつも留守番らしき犬が悲しく泣いていた家に解体のお知らせが貼ってあった。犬はどうなったかなあ。
ハクモクレン満開。今年は花が小さい。
バラの芽もどんどん吹く。折りたたまれたのが徐々に展開していく様子は毎年わくわくする。花もいいが、この段階もテンションが上がる。
「ワイルドライフ」のきのこの森の宇宙回、神回。猛毒のベニテングタケが消えたエピソードからフックはばっちり。金沢のきのこの博士が弟のお嫁さんに感じがそっくりだった。研究者は似るのか。
「ザ・プロファイラー」のムンク回。同じ絵を何度も描いているのは知っていたが、若いころの作品を大成功した後年に描き直しまくっていたとは。結構ショックだ。見方が全然違ってしまう。
伐ってきて活けたモクレンを描く。次々描く。描いているうちに卒然と、ああ描いていく他ないなと開いた。
谷山浩子「ひとりでお帰り」はディランの「Like a rolling stone」を踏まえているのかなあとか思う。
中公新書の「オッペンハイマー」、実験が成功したあたり。シラードが都市への使用(=一般市民の大量虐殺)をなんとか食い止めようと奔走している。オッペンハイマーがどういう認識でいたのかはよくわかっていないようだ。故に対照的に見える。実際はそんな2択みたいなものではなかっただろうけれど。
映画「オッペンハイマー」のキャストを見たがメインのところにシラードの名前はなかった。
やわっと寒くない、雨
いっぱい降る。
運動も兼ねて川を見に行く。暴風雨。そして本流は遠かった。
風に吹かれまくったら、頭がしびれたようになった。