小春日和、晴れ

「グランマ・ゲイトウッドのロングトレイル」、語り方が不思議。通常の本だったらここで物語の全体が大きく展開しますよ!みたいな記述がちょいちょい入るが、それはそのときだけの出来事で、さっくりと次の行程に移る。

エマの歩みの描写と並行してとてつもない嵐とその被害を微に入り際に穿って語り始めるので、私がこれまで読んできた物語だったら主人公は嵐との遭遇不可避、大変なことになるぞフラグなのだが、そうならない。

そういうのが何回も出てきて、ひょっとしてあえてというかわざとやっているのかもしれないなと思い始めた。

何はともあれ面白い。

しかしエマといい、グランマ・モーゼスといい、子育てや何やらから解放されてようやく自分のやりたいことを始めて世に知られるのは女性ばかりだ。日本でも丸木スマとか大道あやとか、いる。男は子育てやらなにやら雑事は嫁に任せっきりにして若い時から自分のやりたいことにまい進できるからな。

それでそれをなんとかおばあちゃんとか呼んでもてはやす感じが、なんだか、今の感覚から見るといやだなあ。