終日、母と実家。
温麺を短いからと3束全部茹でたら多すぎた。
冷水にとるときに20本ぐらい逃す。
夜、イメフォで「オオカミの家」。満席。若いのが多いか。
「オオカミの家」レイトショー。満席。
入場待ちのとき、後ろのカップルの女の子が「ドキュメンタリーは嫌い」「TARを観たがドキュメンタリーみたいでやっぱりいやだった」と言っていた。そういう人もいるんだなー。
何回か意識が飛んだ。
これだけのことをちゃんと構築していくのがすごい。どれだけ緻密に計画したんだろう。
音の造形もすごい。
以下ネタバレ。
アウシュヴィッツの門が示されて終わる。えなんか、ドイツつっても牽強付会では?という疑問がふくれあがったが、パンフでコロニア・ディグダについて知ると「なるほど…」でしかなく、この映画に限っては前知識はめちゃくちゃ重要では。
とはいえ、日本の監督がオウムをモチーフにこういった作品を作ったとして、それを生々しく受け止められるのは日本人、しかも同時代の、と思うと、そこはあまり重要ではないのか?とも思う。
政治・社会的には重要だけど芸術的には重要ではない?