朝から姉が6つぐらいのことで細かいケチを次々につけてくる。
私が怒るとむしろ驚いている。
私を自分の一部といまだ認識しているから、その自分の理想と違うことをするのが許せないのだ。
弟のことは外に出たので他者として認識しているからか、文句は言わない。
ストレスが大きい。
夜、布団に入ってから涙が出てくる。自分のための涙だ。
昨日のバーから、自己肯定感が下り坂になっている。
帰る場所で尊重されないことはつらい。
嚥下困難になってきたので飲みやすくするため薬を砕く。金づちが見つからない(きちんと探さない)のでくぎ抜きを使うのだがそれを食卓に出しっぱなしにしてある。見るたびに「バールのようなものではない、正真正銘のバール」と思う。人を殴り殺すにはちと小さい。
夜、Eさん夫妻とEさんの妹さんで上海蟹を食べに行く。会社の忘年会もやったことがあった中華屋だった。曜日のせいかコロナのせいか、最初にいた客が帰るとわたしたちだけになった。
しかし楽しく美味しく過ごす。
そのあと夫妻の出会いの場になったバーへ行く。妹さんも今の彼氏とここで出会ったそうだ。同じくここで出会ったという夫婦と、もう一人常連さんがいた。
マスターは客の話を楽しく拾うタイプではなく、自分を押し出していくスタイル。
そしてなんとなく世の中に対して強気の客たち。
こういう場で自分は意識を向ける価値があるとアピールすることが、本当にだめになったなと思う。まあいちいちそんなことを意識している時点でまだまだだ。
久々になんとなく自分が無価値と思える場に身を置いてしまった。蟹だけで帰ればよかった。まあ行かないとそういうことはわからない。
23時過ぎ帰る。
一週間の天気予報がはれはれふりふりくもりはれと、旗揚げゲームみたいになっている。
今日は曇り程度かと思ったら午前中から雨で夜まで気合入れて降る。
昼は帰らない。
昼過ぎから姉がキャパオーバーになっており、弱音が次々届くが最終的にはマカロニグラタンを作っていた。
ゴム手袋がどうにも使いづらいのでぴったりしたやつを楽天で買った。在庫があっただけでもありがたいがいつ届くかわからない。念のために会社帰りに商店街の昔からある薬局に行くとあっさり出てきた。ウェブの半額。ペイペイを勧められる。
父はわりとよく食べる。
姉、9時ごろに仮眠と言って自室に消え、深夜過ぎても起きてこない。あとから送ったLINEが既読にならない。いつもつけている手帳が食卓にこれ見よがしに置いてあるので見てみると、今日のところにキャパオーバーと書いてあった。29才のミュージシャンが自殺したニュースを見たばかりで、少し心配になる。2時ごろあっさりふざけたスタンプつきで起きた報告が来る。
他人がどのくらい弱いのか強いのか、弱っているのか大丈夫なのか、わからない。
今起きているさまざまなことに対して初めて感じるあれこれの想念や発見があり、新鮮だ。
父の中でも同じように沸き起こっていて、新鮮な驚きを感じていたりするのだろうか。感じていたとしてもそれは父の口から出ることもなく終わるだろう。それがどうも惜しいような不思議なような気がする。
そしてこれらがすべて終わったあと、「あのときは大変だった」と言い合う中に父は確実にいないというのもまた不思議なことだ。
コナンとアン。コナンはギガント回だ。最高だ。
アンとマリラはグリーンゲイブルズをどうするかという話をしていて、おとといの深夜の姉との話とシンクロした。
終日、実家。
姉は髪を切りに出かける。
ヘルパーさんは3回とも新しい人を連れて来訪し、レクチャー。皆若い。
先週やっつけた烏瓜の残りを更にやっつける。
葬儀について調べるなどする。
荷物受け取りのため、朝のうちに部屋へ。
鉢の位置など変える。
ミントは全滅したようだ。土が合わないのか。
ラルサ・バビロン届く。元気に育て…。
あれこれやっていると全然時間がない。14時過ぎ、実家戻る。弟が来ていた。
入れ違いに姉出る。
千葉で父の部下だった女性来訪。父主催で部下たちとみんなで行った会食の料理をスケッチブックに詳細に描いたものを持ってきて見せてくれる。
弟料理に奮闘す。
お嫁さんと甥っ子来る。甥っ子は夏の墓参りの時に会って以来だが驚くほど背が伸びていた。もう170ある。私は気が付かなかったが声変わりも始まっているそうだ。
難しいお年頃が近づいている感がある。
夜全員帰った後で父が母に声を荒らげる場面があった。すると母は父を知らない人だと言いだした。姉が相当ショックを受けていた。
直前に、老夫婦で仲良く入院して周りは微笑ましく思っていたが実は旦那が暴君で嫁は旦那をずっと嫌っていた、というウェブマンガを読んだばかりだったのもあり、加えて昼に見たごちそうを食べ歩いていい気になっていた父と子供と姑の世話を一気に引き受けて実家からの金も全部父に貢いでいた母と比べてモヤモヤしていたのも重なり、酒も入っていたので怒りが爆発しかけた。「父は母にもっと感謝すべきだ」とだけ言った。
母も寝てから姉とロングトーク。
父、退院。
会社1日休む。
ベッドに再び寝てる姿を見たら二週間見ない間になんか随分老人感が増したなーと思ったが、髭が剃られていたことにだいぶ経ってから気づく。晩年の祖母にそっくり。
「ニーチェの馬」の父親からは遠ざかった。
夜、弟来る。
姉が介護休暇が取れるかしきりに聞いてきて、しかしもうこの状態になっているならば逆にそれほどやらねばならないこともないだろうにと、気が進まない。
あとで全員の連絡網で、そばにいられる時間が長く取れるようにとの配慮だったとのこと。
どうなんだろう??
去年雲ノ平に行って、何か精算できたようにすっきりしてしまっている。気持ちを仕切り直した方がいいのだろうか。
「黒部の山賊」著者で雲ノ平山荘の先代の人に会ったかどうか姉が話を振ると、妙に嬉しそうに笑って私の方を指差してきた。
夜、「では出発しよう」と何度も言う。
余命宣告されたあたりで、「しかし自分が犠牲にはならないように、自分にとっての喜びは手放さないように気を付けよう」と心に決めたが、いよいよことが進むとそんな考えなどはペラっと吹っ飛ぶぐらい軽いものだったのだなという実感。