そこそこ、晴れ

心が疲れているからだ、ということにして会社午後から行く。

昼、実家。姉が焼きそばを作っているが、そば投入のところから私に押し付けようとするので無視して庭に出る。

焼きそば、べちょべちょしている。料理教室に何年も通い、人には上から指導しようとしてくるわりに、料理が得意ではない。そういう事実と向き合いたくないからなんとかして他人にやらせようとする。そして別に感謝もしない。文句はつける。そこはしっかり向き合った方がいい。

 

出社して仕事して修理に出した靴を受け取って家に戻る頃には心も落ち着いた。

夕飯は姉が全部作った。ちゃんと美味かった。肉団子にニンニクがやたら使われていて、昨日私が作った小松菜のヨーグルト和えにニンニク入れすぎだと何も手伝わなかった挙句に文句をつけていたので(キレたのはそれが原因ではないがくすぶってはいた)、反撃の余地を作ってきたのだろうか?とか思う。まあ違うだろう。

 

 

夜、風呂で沢村貞子の「わたしの献立日記」文庫版。

平松洋子の後書きで「老いの道づれ」が引用されていた。

「そして私は、いつでも何でも…できるだけ、あなたの気持ちに添うように気をつけていましたから、まずまず、天下泰平ということでした」

という文章にはっとする。

父が、自分は何にもしないくせに母の料理や家事の手際について悪しざまにケチをつけるのが本当にイヤだった。20歳のときに泣きながらそれを母に訴えたが「夫婦のことだから」と言われて引き下がった。去年の父が弱ってきたあたりからまた一緒に過ごす時間が増えたせいもあってそれが再び目に余るようになり、「あなたがいま粗末に扱っているのは私の大事なお母さんだ」という気持ちでときどき強く父に注意することがあった。父はそれで多少母に無茶ぶりをすることが減ったようでもあり、言ってよかったと私は思っていた。でも父が死んだ今になってこの文章に出会ってみると、二人のことはやはり二人のこと、それで母が納得して幸せだったのならば私はひどい横槍を入れたことになるのかも知れないと思い至った。それでなぜか急にぶわっと涙が出た。