健康診断。ちゃんと出てちゃんと着く。
年々この、薄い院内着一枚で男女一緒くたのフロアを行ったり来たり待機したりするのが苦痛になってきてる。ガウンはあり、女性はほとんど着ている。男性はほとんど着ていない。そして次の検査を待つ間は「着ないでください」という注意が何回も。このシステムなんとかしろや…。しかしここで抗議できない。まだまだやな。あとでなんか意見を送ろう。
バリウム、下剤なしでも凄い勢いで出る。
花粉は楽。
テレビをつけたままあれこれやっていたら急に1歳から2歳まで家族が住んでいた村の名前が出てきてハッとした。東電マンだった。そのまま見てしまった。
ザックの外ポケットにロッテのチョコパイが一個入れっぱなしになっていたのをおやつに食べる。粉々である。チョコパイは粉々のほうが美味いかもしれない。
河合隼雄「子どもの宇宙」読み終わる。新車でこの短さで、この豊かさ。逆になんかだいたいわかった気になってしまいそうで危ない。だから精神不安定な友達が河合隼雄を読み込んで、自分が治ってもいないのに治療者になりたがったのかもしれない。
続けて「かか」読む。これを読んで、すごい人が現れた!と見抜いた人がすごい。私は見抜けなかっただろうなあ。書評をいろいろ読んでみたい。
「あのこは貴族」を観てから階級について考え続けている。
「高慢と偏見」の著者は主人公と同じ階級であり、その階級の価値観を基準として書いていること。ダーシーの階級の人がもし同じ小説を書いたら、エリザベスは身の程を知って引き下がるとかそういう話になるんじゃないか。「anone、」の小林聡美が嫁いで出て行かざるを得なくなった家は、小林聡美がいなくなろうがどうしようがその価値観のまま生きていき続いていくだろうということ。「トード島の騒動」で出てきた超金持ちきょうだいの時間の使い方とか(ファッションページをめくることしかやることがないお姉ちゃん)。
上流社会に映画や文学は価値があるのだろうか。文学はまだしも、映画は?
超上流階級にとって文化は退屈すぎて死なないためのツールだったりするのでは。または殺さないための。