会社まで歩いて行こうと思っていたが、「新潮」の藤野可織の短編を読んだ。
書かれてあるどのことにも意味があるのだろうなと思うと、わくわくする。私の精度があがったらきっともっと面白いのだ。
ゴミを完璧にまとめ、忘れて出る。50メートル進んで引き返す。
夕方、尻のあたりに濡れた感じあるなあと思ったが、ナプキンはそんなに汚れていなかったので安心したが、全然漏れていた。トイレに行ったついでにトイレ掃除をしながらふと鏡を見たら、生理人生のうち2番目ぐらいにでかいシミがズボンの尻にできていたし、Tシャツの裾にも染みていた。こういうときに限って男子社員がほぼ全員集合で帰ってきている。どうしようもないので洗い、盛大にお漏らしをしたみたいになって、しかしベストがあってまだ助かった、そそくさと3階に行き、3階のトイレ掃除もしつつ改めて洗う。
もうあがるかという時期にこの体たらく。
というか、人間の女の人生のかなりの部分を不便に縛り付ける生理というもの…。
夜、食後ネッフリで「なぜ君は総理大臣になれないのか」。
撮影対象の小川淳也氏はわたしより1歳下だった。32歳で立候補して、それからずっと政治家をやってきて、全然汚れ感がないことが驚き。そんなこと驚くにはあたらない世の中になってほしいとは思う。
娘さん二人もものすごくまっすぐ育っていて、ご両親も心がきれいで、なんだこれは。特に、映画の最後の選挙戦のときに街を遊説中、自転車に乗ったおっさんから「腹ん中は真っ黒だろ」と罵倒を投げつけられたとき(オッサンはすぐ去った)、そのうしろ姿を長女さんがずっとギッと睨みつけているシーンは、個人的にこの映画のハイライトだった。泣けた。
対立候補が先日話題になった恫喝大臣の平井議員だった。そういう輩を相手に僅差まで迫ったことがすごい。
映画の途中で母は寝たが(私も睡魔に襲われまくっていたあたり)、映画が終わって縫物をしていたら足の指先を何かに刺されたと起きてきた。何かというか、まあ、ネコ蚤。姉も降りてきて、自分が刺されまくって先日アレルギー症状で皮膚科でもらった薬を母に塗って、自分で貼るようにと絆創膏を渡した。それを手にしたまま新聞に夢中になって20分ほど。新聞を置いて、ためらうことなく足指に絆創膏を貼っていた。最近また記憶が一段とあいまいになってきていたのに。忘れる部分と忘れない部分。
母の認知症が進行したとしても、それは私たちが何かをした/しなかったせいだと自分を責めてもしょうがないのだ。と改めて自分に言い聞かせるように。
そして、金目当てで結婚したような人がその相手の名前をつけたバラを作ろうとはしないな、という納得。
シャツ完成。
枕カバーも縫い上げる。
満足して寝る。