風わりとある。
昨日えみさんにNHKプラスを教えてもらっての今日、NHKプラスからメールが来ていた。
こわっ。
姉と母がデイサービスに徒歩で行くのに会社の前を通るので、3階から見送る。
朝、布団の中で伸びをして足が攣る。
昨日オオゼキでマグロの切り落としが10%引きになっていた。昼は久々に漬け丼。
3人で1パックは少ないかと生サーモンも買ったが、ゆうべのカツオのたたきも残っててちょっと多すぎた。みょうががめちゃくちゃ辛い。部屋で自生を始めた青じその苗を持ってきたやつ、今年初使用。みょうがも昔は庭から採ってきていた。そういうことを考えるたびに、農業をやめて街に住むようになって、今まで自分で作ってきたネギをスーパーで安く買えて喜んでしまった自分に深く傷つく「ホハレ峠」のおばあさんを思い出す。
髪を切ってもらいに。すっきりさっぱり。
終わって時間が十分あるので、美学校にDM置きに行く。授業はやっていたが事務局のK君はいなかったので勝手に置いていく。SさんのDMがあったのでもらってく。
大きなちらしの山の上に誰かが既に一束置いてあった。なるべく下が見えるようその隣に置いて、出て前から気になっていたラーメン屋に入った。鯛で出汁を取ったという店。
ちなみに覆麺は休み。いつも並んでいる用心棒は二郎系。
壁にいろいろ貼ってある。宇和島産の塩を使っていると書いてある。今日、昔お世話になったデザイナーがDMへの返事でメールをくれて、その人のブログを見たら毎日宇和ゴールドを摂ってから出勤しているのを、宇和島の美味しいビールと勘違いしたのだった。宇和ゴールドという柑橘だった。宇和島か。10日には大竹伸朗のテレビ番組がやる。
チラシには知人も出ていて、その上にチラシが隠れてしまうようにDMを置いたのはどうなんだろう、のちのちこういうことでそしられるかも?と、麺を待ちながらどんどん気になりだして、あくまで自分の評判が落ちるかどうかみたいなことしか考えていないのがこの年になってもアレだが、とにかく食べ終わってからまた戻って、SさんのDMの並びに縦に置き直した。
部屋の隣の駅に行って「犬王」。15分間違えていたので余裕。
映画は、音楽が主役にならないうちはもう素晴らしすぎる映像作品となっていた。
音楽が出てくると途端に単調というかグルーヴが消えるというか、リズムがおかしいので乗れなくなる。「夜明け告げるルーのうた」のときもそうだったけど、湯浅監督のリズム感はなんだか独特だ。
アヴちゃんの声が唯一無二で、「coccoon」で役者として青葉市子の声を初めて耳にした時の衝撃を思い出した。
足利将軍の声もなんだかぬるぬるしてめちゃくちゃよかった。柄本祐だった。そりゃあいいですよ。
coccoonといえば、西原理恵子の娘さんが出ていたことをTwitterで知った。
彼女のnoteのリンクがあり、かなり壮絶な家庭というか母親像が描かれていた。
佐野洋子が亡くなったとき息子の広瀬弦がやはりかなり偶像破壊的な話をしていたが、同じようなことなんだろうなと思う。
西原理恵子については、「できるかな」だったかで中国で風俗店を取材した折、店の女の子が「私はセックスがすっっっっごく好きなの」と言う場面があって、なるほどそうかーと能天気に納得していたが、最近では正常性バイアスというものについて知ることもあり、単純にサイバラが見て語ったことを鵜呑みにしてしまったのを悔いた。し、サイバラは歌舞いていると見えるがその実、男に気に入られるかどうかという価値観から全然自由じゃないのだ、ということも。
お嬢さんの文章は繊細さと鋭敏さと賢さが漲っていて、そのなんというかいい部分もまた、西原から与えられたものでは、少なからずあるのだろうと思って、ものごとの難しさを感じた。
東京の文化的な家に生まれ育って、研ぎ澄まされた感性に間接的に触れる機会が非常に多くて、それで少しコーティングされているけど、私の根っこの本質はおそろしく凡庸だ。
そういえば先日友達から相当変わってるよねと再確認するみたいな感じで言われてむしろ新鮮だったのだが、相当変わっていることと感性が鋭いことは、違うんだよなあ、私のこの凡庸な感性…と思いながら出勤。
もっというなら、ファンタジーがない。
夜、テレビをつけると母がそっちにくぎ付けになって全然箸が進まない。
これまでは、しかし会話も特にない家だし息がつまるだろうからとつけていた。
今日はちょっと精神的に余裕がなかったので消した。結果、完食。
悩ましい。
「映像の世紀 バタフライエフェクト」、3人で観る。母が何度も「日本にさんざんやられて悔しかったんだろう」というところにつなげて話すのでこれもがまんできなくなって「そういうのはいやなんだ」と言ったら「わかった」と答えて、その後本当に言わなかった。いつもなら数分したら忘れてまた言い出すのに。
自分の絵に特に興味のない友達にDMを送る意味。
というか、興味がないことが隠しきれないで見えてしまうのが結構きつい。しかし一方私も相手のやっていた活動に興味がないのが駄々洩れだったな、と気が付く。自分の行動の反映だ。
「いやもうすごいがんばったから!絶対見てほしいから来て!」と言えるようになればいいのだろうか。ないものねだりか。
「冬の光」読み終わる。
ううーーんん?????
後半出てくるある人物を、地獄に返してそれっきりというのが。
金曜がずいぶん以前のように思える。
姉より、私に何かをやらせたいが具体的なことは書かずそれはこちらが察することであるみたいな、いつものテイでLINEが来たので、そしてこれまでならそれに何か突っ込めもうものなら激しい逆ギレが来るのが嫌で対応してしまっていたところ、今日は塩対応で返せた。姉も特にキレず。いい傾向。
不機嫌や体調不良(の訴え)で人を動かそうとしてはいけない。
Twitterで流れてきた、非常に気になる二人展を見に大島まではるばる行ったが、そして見つけにくいという場所もちゃんと見つけたが、17時に終わっていた。時間を確認しない私が悪い…。そして辿り着く前に、自分の作品を深めなければいけないこの時期に他人の作品を見て大丈夫か?という迷いが生じていたので、まあ、やってなくてよかったのだと思う。
すごすご戻って世界堂で画材買って帰る。
篠田節子「冬の光」を読む。帰ってから引き続き読む。今日は描かないのか?と心配になったが、12時過ぎてから描いた。
展示できそうなやつを並べておく。眺めて、一体これをどうやって一つの展示としてまとめるのか???となる。
製作することと、それを人に見せるためにあれこれするのは、別の脳みその仕事だよなあ。グッズ作ったりするのも。
描くなら描くことに全振りするのが正義!みたいな気持ちがあるんだ。
以前グループ展で一緒になって、その後インスタレーションやオブジェを作るようになった作家のKさんがFacebookで若林奮への熱い思いを書いていた。Kさんの作品も研ぎ澄まされていて本当に好きだが、その源流的なものとして若林奮がいるというのはとても納得がいく。
研ぎ澄まされたものが本当に好きだ。でも知り合いがそうである場合、同じ作る側としての自分が照射されて、その研ぎ澄まされなさ…砥ぎ澄まなさが身をさいなむ。
「冬の光」、父親や姉や主人公の描写がわが家と重なって「ほえー」となる。それぞれ10歳ぐらい年が違うが。
母親は違う。と思いたいがどうだろう。
ここからさらに何かひっくり返すのだろうか、とページをめくる。
黒い水が淡々と平原を進んで行くさまは、いまだ文章でも辛い。
いい風が吹いた日。
おたまじゃくしというかカエルになりかけというかのやつをヤゴが捕食していた。昨日まで黒山の子ガエルだかりになっていた板の上。他の子ガエルたちは遠巻きにしていた。
書庫二階の踊り場の窓を開けて、オーガンジーをカーテンがわりに窓枠に貼った。さわやかー。
描く。
バラ園で買った実生のノイバラは虫がじゃんじゃんついて、ぼろぼろ。野生種なのに。
夕方、画材を取りに一旦部屋へ。
夜、レバニラ炒め。多分人生2回目。揚げ焼きのときに水分が猛烈に撥ねて火傷。
姉は好き嫌い発動で食わず。
夜、23時過ぎから描く。ようやくいい感じのが描けて喜び。
BGMはずっとコテンラジオ。
姉は今やっている仕事で植物図鑑と雑誌が必要になり、書庫を活用している。
私は書斎をアトリエに使っている。
それぞれ父の遺してくれたものを活用している、というか、父が残したものがこうして生かされているな、と今日急に強く思った。
昼、母と商店街のカフェで昼食。
ホールの男の子が一人。
山盛りのから揚げが出てきたが、母はおいしいおいしいと調子よく食べ、コーヒーも飲み、帰ってから朝の残りのりんご半個も食べた。
会計のとき、お店の女の人と目が合って、覚えているかいないか?挨拶すべきか?と迷って、まあ挨拶して、向こうも「髪が短くなってたから分かりませんでした!」とか言ってくれて、まあよかった?ような気もしたけど、あとになってなんか知った顔アピールした感じになってなかったか?とややくよくよした。
車庫の植物あれやらこれやら。
ハダニがすごい。
アーティチョークも調子いいかと思ったら葉の裏にアブラムシがどっさり。
虫の季節到来…。
どもならん!ということで午前中休みにする。
胡瓜鉢増しなど。庭作業をやっているうちは小雨だったが、入ってPC作業をやってるうちにものすごい降りになってきた。
窓の桟に雨水が溜まっていたのでついでに掃除する。窓際にハエトリグモがいて、こんな部屋の中で食うものあるのかと心配してたら窓を開けたとたんに外にまろび出た。
すさまじい降り方をして、いろんなものの芽が打ち倒されている。大きい蟹が歩いていた。
出窓もやっちまいたかったが、こっちには雨合羽がないのだった。買うか…。
郵便局で料金別納出す。今日も各種切手盛り合わせだが、今回はちゃんと分類して計算して臨んだ。今日の局員さんも淡々と手続きしてくれてありがたかった。
昼、実家へ。パパ・メイアンの古いほうの枝にいつの間にかハダニがどっさりついていて衝撃。
子ガエルは、背の高いバケツのはまだ一匹いるねえと思って、隣のたらいを見たらカエル未満がまだぎっしりと水の中でひしめいていた。
子ガエルになってバケツの縁とかにいるやつが呆然と動かないのが、急な環境の変化に戸惑ってなのかねえと思っていたが、大人のカエルもわりとそんな感じだよな。