金曜がずいぶん以前のように思える。
姉より、私に何かをやらせたいが具体的なことは書かずそれはこちらが察することであるみたいな、いつものテイでLINEが来たので、そしてこれまでならそれに何か突っ込めもうものなら激しい逆ギレが来るのが嫌で対応してしまっていたところ、今日は塩対応で返せた。姉も特にキレず。いい傾向。
不機嫌や体調不良(の訴え)で人を動かそうとしてはいけない。
Twitterで流れてきた、非常に気になる二人展を見に大島まではるばる行ったが、そして見つけにくいという場所もちゃんと見つけたが、17時に終わっていた。時間を確認しない私が悪い…。そして辿り着く前に、自分の作品を深めなければいけないこの時期に他人の作品を見て大丈夫か?という迷いが生じていたので、まあ、やってなくてよかったのだと思う。
すごすご戻って世界堂で画材買って帰る。
篠田節子「冬の光」を読む。帰ってから引き続き読む。今日は描かないのか?と心配になったが、12時過ぎてから描いた。
展示できそうなやつを並べておく。眺めて、一体これをどうやって一つの展示としてまとめるのか???となる。
製作することと、それを人に見せるためにあれこれするのは、別の脳みその仕事だよなあ。グッズ作ったりするのも。
描くなら描くことに全振りするのが正義!みたいな気持ちがあるんだ。
以前グループ展で一緒になって、その後インスタレーションやオブジェを作るようになった作家のKさんがFacebookで若林奮への熱い思いを書いていた。Kさんの作品も研ぎ澄まされていて本当に好きだが、その源流的なものとして若林奮がいるというのはとても納得がいく。
研ぎ澄まされたものが本当に好きだ。でも知り合いがそうである場合、同じ作る側としての自分が照射されて、その研ぎ澄まされなさ…砥ぎ澄まなさが身をさいなむ。
「冬の光」、父親や姉や主人公の描写がわが家と重なって「ほえー」となる。それぞれ10歳ぐらい年が違うが。
母親は違う。と思いたいがどうだろう。
ここからさらに何かひっくり返すのだろうか、とページをめくる。
黒い水が淡々と平原を進んで行くさまは、いまだ文章でも辛い。