はだざむし、曇り

東京の文化的な家に生まれ育って、研ぎ澄まされた感性に間接的に触れる機会が非常に多くて、それで少しコーティングされているけど、私の根っこの本質はおそろしく凡庸だ。

そういえば先日友達から相当変わってるよねと再確認するみたいな感じで言われてむしろ新鮮だったのだが、相当変わっていることと感性が鋭いことは、違うんだよなあ、私のこの凡庸な感性…と思いながら出勤。

もっというなら、ファンタジーがない。

 

夜、テレビをつけると母がそっちにくぎ付けになって全然箸が進まない。

これまでは、しかし会話も特にない家だし息がつまるだろうからとつけていた。

今日はちょっと精神的に余裕がなかったので消した。結果、完食。

悩ましい。

映像の世紀 バタフライエフェクト」、3人で観る。母が何度も「日本にさんざんやられて悔しかったんだろう」というところにつなげて話すのでこれもがまんできなくなって「そういうのはいやなんだ」と言ったら「わかった」と答えて、その後本当に言わなかった。いつもなら数分したら忘れてまた言い出すのに。

 

自分の絵に特に興味のない友達にDMを送る意味。

というか、興味がないことが隠しきれないで見えてしまうのが結構きつい。しかし一方私も相手のやっていた活動に興味がないのが駄々洩れだったな、と気が付く。自分の行動の反映だ。

「いやもうすごいがんばったから!絶対見てほしいから来て!」と言えるようになればいいのだろうか。ないものねだりか。

 

 

「冬の光」読み終わる。

ううーーんん?????

後半出てくるある人物を、地獄に返してそれっきりというのが。