ナデローは一つだけ残った寝床箱を占領した。見るたびにその中にいる。
オバチャンとコドモは姿を見せない。
体重昨日より少し減。
個展準備最優先で運動なんかする余裕はないからこの期間太ったとしてもそれはいいのだと覚悟をしていたが、4月に受けた健康診断が肝臓の値で引っかかって再検査になってから酒をめちゃくちゃ控え、無罪放免になったあとも結局飲まないでいたら順調に痩せてきた。本当に酒の分余剰カロリーを摂っていたのだなあ。懐にも宜しい。
姉が結構手広く宣伝をしてくれている様子。
ナデローは一つだけ残った寝床箱を占領した。見るたびにその中にいる。
オバチャンとコドモは姿を見せない。
体重昨日より少し減。
個展準備最優先で運動なんかする余裕はないからこの期間太ったとしてもそれはいいのだと覚悟をしていたが、4月に受けた健康診断が肝臓の値で引っかかって再検査になってから酒をめちゃくちゃ控え、無罪放免になったあとも結局飲まないでいたら順調に痩せてきた。本当に酒の分余剰カロリーを摂っていたのだなあ。懐にも宜しい。
姉が結構手広く宣伝をしてくれている様子。
ギンバイカどんどん咲き、ミツバチどんどん来る。
近所にも植えている家をちらほら見かけるようになった。
日経の「私の履歴書」は先日まで里中満智子で本当によかったが、で次は住友林業の偉いさんかーと思ってたらこれも面白いのだった。家庭教師先の子供の出来がよかったので逆に数学を教えてもらっててクビになったとか。でもこういう昔は落ちこぼれでしたみたいなのを笑い話にするの、クソ爺の武勇伝の一環だったりもするよな…。気をつけていきたい。
昼の弁当を買いに最近オープンした高級スーパーへ。
入り口に業務用コーナーが出来ていたのでオリーブオイル買う。あと弁当にラザニアと茄子のリガトーニと紅芋のスイートポテトと食パン。レジの女の子が底にオリーブオイルを寝かせて入れたまではよかったが、食パンがつぶれない詰め方を見出せず申し訳ながる。バイト始めたばっかりなのかな。逆にごめんね。
さすがに高級スーパーなので、リガトーニの茄子がめちゃうまい。スイートポテトもうまい。
ナデロー、寝床を独占。ベタベタしたがる。
夕方、姉は「犬王」を見に出る。
特に買う必要があるものはなかったが、あんまり出歩かないと母の脳が退化してしまうという不安があり、商店街に一緒に買い物に行く。
感想は、森山未來じゃなくてミヤジが歌を歌ってればというのだった。
パンフは売り切れ重版中。公式が土曜には入荷するとアナウンス。
額装の準備とかする。
オーガンジーの下書きも居間でやる。
母が寝た後に書庫に描きに行くが、なんかだめ。
①どうしたってやりたいこと、②できること、③すべきこと、④やってみたいこと、というのがあったとして、わたしは④しかやってねえな、①を見出さないと今後行き詰るな。
今日もGの子がちょろちょろデスクの上に現れる。どこかでワーッと生まれているのだろうな。古いホイホイを仕掛けた。
3時になってしまった。
母、少々虫の居所悪し。珍しい。
値段表を作ってみると、昨日十分にあるなと思った作品数が全然足りないな?となって青ざめる。
昼、描きに帰る。
なんで画家は同じモチーフをしつこく何度も描くのかなと思ってたが、バリエーションをいろいろ試してみてるってことなんだな。
そういえば、エドワード・ホッパーに出会い直したタイミングで、偶然にも大部の伝記が訳出されていたのを新聞の読書欄で知った。神保町で通りかかった新刊本屋のショーウィンドウにも複製の絵がたくさん飾られていた。
ホッパー、学んでいる間はめっちゃ才能が爆裂して評価されていたが、パリに行って自分の正解はこれだ!というのを見つけてしまったのにいざ帰ったらそれはふるさとアメリカのニーズと合致せず、長い間全然売れなかったが本人的には全然ブレず自分はこれ!というのを追求し続け、それとここではこれ!との間のちょうどいい着地点を見出してからスッパーンとブレイクした。という印象。
売れていないとき、そのころ付き合っていた同級生(のちの奥さん)が自分が出るグループ展に、才能があるからとギャラリーに猛プッシュして出展したけど一枚も売れず、搬出後二人で帰る電車が地獄だったみたいなエピソードが語られてて、涙。
腹具合は低空飛行。
午後、それにしても寒いな??と思ったら、社長のデスクのところの冷房が入っていた。社長もいないし速攻で消す。
つうか、梅雨入り。
昼のあとに途轍もなく腹下す。生理前のやつか。
夕食食べたあとも下った。生理は来ない。これでなんか病気とか言ったらウケる。いやウケない。
百草丸飲む。
今日の母は、私のことは「孫?」的な認識で、どっちにしてもここはうちではないというのはここのところ継続している。
おとといは明略に娘と認識していた。
明日はお母さんのいるうちに帰れる、という希望を持っていた方が母の心にとってはいいことなのかもしれない。
母の中から自分が消えていくことが悲しいのもそれはそうなのだが、日々刻々、キャラ設定がブレブレの脚本を渡される連続ドラマの役者のような感じのしんどさというのもある。
という苦しみがあることで、絵はいい感じになっていく。気がする。
2時ぐらいまで描く。
「所詮このような向き合い方」、というのが常にある、というのは向き合い方もその作品への現れ方も素晴らしい人々がわりと近いところにいるからだけど、自分もなんとかそこに行きたいと思っているからダメなんだろうなあ。自分の作る作りたいものと向き合ってないと結局。
大地の芸術祭のクワクボリョウタさんの作品が、中学生によって踏みにじられ破壊されたというニュース。フォローしている人の「悲しい」というコメントつきで知った。
本当に悲しい。あの作品を、ではなく、あの作品が、と思って涙が出てしまった。
あんなに繊細な作品を。
夢。
DV夫(ぽっちゃりメガネ)に酷い目に遭わされている友達を救出に行く。私が夫にブチ切れている間に、もう一人の友達が来て、被害者の荷造りをした。そのまま二人で私には声もかけずに出て行ってしまったらしい。DV夫もいないその家で呆然としているうちに外では50年ぐらい経つ。出てみると、周囲が変わり果てていて敷地から出られない。家は坂の上にある。下に行ける階段は管理地でネットが張り巡らされている。平地の逆側はテニスコートになっていてテニスをする人たちがいるが、高いフェンスの上に有刺鉄線が渡してあって出られそうにない。コートの裏の森の方に行けば出られるだろうか、そっちにも鉄条網などあるだろうか、戦争中の国境はこんなふうだろうかと思う。
とはいえなんだかんだで出られて、DV夫の母親が主催しているらしい宗教団体の何らかのイベントに行く。申し込んだ人は入口で自分の名前を書かれた分厚い封筒を渡される。私のは50年前の分と二つあった。
通されたところは試験会場のようになっている。
描いて、午後出て神保町へ。
まずチケットを買い、古本屋覗く。生き生きするなぁ。詩集のコーナー見つけられず。カロ(知らなかった)とゴヤとドーミエの戦争を描いた絵に関する本、飛田和緒の味噌汁の本、パブロ・カザルスの本、買う。姉妹店のカフェの無料チケットをくれた。コーヒーを飲まなくてもペットの水をくれるやつ。結局交換せず。
文房堂でキャンバス、フィキサチーフなど買う。ここでも変形キャンバスが充実していた。
出口近くで高級パステルをガラスケースに陳列していて、上に置いた大きいモニターで工房の作業風景を流していた。立ち止まって見ていたら小学校低学年ぐらいの女の子が横にきて一緒に見てたが聞こえるように何か疑問を口に出す。私の向こうにお母さんがいるけどそっちまでは届かないから私に向かってなのかな?答えようかな?と思いつつ黙っていた。
並びのカツ丼屋で野菜カツ丼。後から来たお客もだいたい野菜ヒレカツ丼だった。外に写真付きで掲示されているからだ。
野菜がかぼちゃ、ブロッコリー、トマト、ヤングコーン、茄子で、大歓迎。
戻って岩波ホールで「歩いて見た世界」。かなりがらがら。その前のほうで中央に座って、がっくんがっくん睡魔と戦った。帰り際、後方に座っていたカップルがくすくす笑っていたが、イライラしていた人もいただろうな。前回の岩波ホールもセリフ一切なしの修道院の映画で、闘った。このときはかなり負けた。
7月末までやっているので、個展が終わったらもう一回来よう。
にしてもリニューアルしたばかりということもあって傷んだところが全然見受けられない。本当にもったいない。
終日、実家。
姉。こちらが筋が通らないと抗議して決着したことを、またすこーし自分の都合に寄せてひっくり返してくる。
今までならこっちはもう毎度それで衝突するのに疲れて向こうの思う通りになっていたのだが、踏ん張って抗議する。
本当に毎度毎度このやりとりに消耗する。
子供時代に、なんだかんだ言っても強く出ればこっちが折れることを学習しまくってしまったのだ。子供の頃は年齢差という力関係がそれを可能にしていたが、50代の年齢差2歳など誤差の範囲内だ。
自分がやりたくないことをなんとしてもやりたくないし他人に押し付けたいという根性が変わらない。変わっていただかねば困る。