三日ぶりぐらいにコンポストを開けたら、蟻が住まっていた。穴を掘らずにそのままうわーっといた。そりゃあ暗くて食べ物が豊富で暮らしやすかろう。


ロンドンの高層住宅大火災。
逃げようがない様子で炎上する高層マンション。低所得者層向けらしい。中央に階段とエレベーターがまっすぐ通っていて、そこを煙と炎が上昇した。煙突だ。外に非常階段もない。逃げようがない。ひどい。




共謀罪
またうわーっと戦争して国民がじゃんじゃん死んで負けて、ってなるのか。
国民婦人会みたいなおばちゃんたちに大威張りでいろいろ押し付けられるのか。というかその戦争の頃は私は世の中には役に立たないおばあちゃん寄りだな。



さよなら妖精」の残り30ページほどを駅前のパン屋のカフェで読もうと行ったところ、都議会候補者が街頭演説をしていてとてもうるさい。図書館方面にずーっと歩くが、そういえば昔ながらの喫茶店がつぶれていたのでこの商店街はずーーーっと喫茶店がない。延々歩いて、いっそ勘八沿いの高級フランスがしてんのカフェを利用してやろうと入ったら6時閉店だった。ちょうど6時。手ぶらで出る気になれなくて気になっていたアンディーブのグラタンとソーセージを買ってしまい、結構な出費になる。商店街に戻って、デリのカフェコーナーにやっと落ち着く。ビールとプリン。先客のおじさんが持ち帰りの弁当を持って出たら10分ぐらい私しか客がいなくて、奥の厨房で店員の女の子がもう一人の誰かに向かって店などに対する文句をずーーーーっと言っている。小2ぐらいの男の子を連れた女性客が入って来たが、構わず文句は続いていた。おい姉ちゃん、「ひよっこ」を見ようぜ。
それからあとは急にどっと混んだ。
さよなら妖精」は最後がどっと苦かった。登場人物たちの言葉づかいが古臭くて、1990年代初頭の高校生大学生とは思えない。1970年代ならわかる。ずっとぞわぞわしながら読んだ。AMAZONのレビューを見てもそこを指摘しているものは一つもなかった。こういう様式として容認されているのだろうか。ユーゴスラヴィアから来た少女マーヤがときどき軍事的に訓練されているふうな描写があり、ラノベの戦闘美少女パターンだろうなと思うが、そこはひょっとするとそういう志向に対する皮肉だったりするのかも知れない。
ココカラファインでたろうの包帯と消毒薬を買う。卵や牛乳まで売っているので驚く。
実家。うな丼。庭の山椒の若葉が使ってある。どすどす生えてくる明日葉も最近は父がよく使う。自給できるものを自給するほうが豊かだと思う。
やすらぎの郷」昨日と今日の分観る。水曜日に涙涙の展開になったとき、そういえば初めてまともに観ようとした「北の国から」もどんどんしんねりどんよりしていって「うへえ」と思ってやめてしまったのを思い出した。ますます暗い重い展開になる。そして野際陽子逝去。
深夜、たろうを見ながらミヒャエル・ハネケ「71フラグメンツ」。DISCASから届いてから5か月も観あぐねていた。「ファニー・ゲーム」や「ピアニスト」ほど毒まみれではない。何の感興も起こさせないシーンが延々続いたりするが、観てしまう。そして絵を描きたくなる。ハネケの映画は何だか絵を描きたくなる。
登場人物はたまに微笑む以外は徹底して無表情だ。キレるときも無表情だ。カウリスマキ作品も無表情だけれど、同じ無表情でもすごい違いだ。撮影現場はどうなっているんだろう。
若者が銃を買って、ルームメートに預けて、また受け取って、ルームメートが家宅捜索を受けて、最終的に若者は銃を乱射する。そもそもは何に使うつもりだったんだろうな。乱射は帰省途中の出来事で、直前に母親と電話をしていたから母親を殺すつもりだったのだろうか。
終盤父がやってきて一緒に終わりまで観ていたが、たぶんなんじゃこりゃと思っただろう(黙って寝に行ってしまった)。
さしはさまれるドイツのニュース映像には解体後のユーゴのことも含まれていて、今日観たのは偶然ではなかった。
特典映像の監督インタビューも観る。言っていることが全然頭に入ってこない。哲学的なんだろう。私は哲学的ではないんだろう。フランス語でしゃべっていて、フランス語はわかりやすかった。
朽木ゆり子「東洋の至宝を世界に売った美術商 ハウス・オブ・ヤマナカ」を読みながらたろうを見る。語り口がNHKドキュメンタリーみたいで面白い。
2時半ごろ、たろうも寝たし起きていられなくなったので布団へ。