終日、実家。
母のワクチンで車で出た以外。
問診票書き忘れてくし、ネームプレート返し忘れるし、ポンコツ度が高い。大したいの我慢してたから。ってことで。
帰ってから、空いた時間は「空へ」読む。
読み終わった。
日本人(と台湾人)の描き方がひどいというかめちゃくちゃ冷淡だった。あとがきにも、偏見があるのではとあった。同じ日のチベット側からの登山隊の遭難を、本件とは直接絡まないのにわざわざ取り上げて、日本人は死にかけの登山者を救助せずに見捨てた、(我々)欧米人はいろいろ投げうって全力で救助に当たったと対比にしている。日本人が見捨てたというのは実際には誤解だったらしいが、訂正する気もないだろうなあ。ヤな感じ。
ジャーナリストとして来たのに、いざ山に入ったらもう登山家になっちゃってててっぺんを取りたくてうずうずしていて周りが見えなくなっているところとか。
サンディ・ピットマンについて書くときにはほとんどいつも当てこすりみたいな憎々し気な口ぶりになる。下山後、彼女の息子が学校でいじめられたという件についてもわざわざ「特権階級の」と付け加えている。
「ミズーラ」では丹念な取材を重ねていて素晴らしいなと思ったが、別に聖人君子じゃないということだ。
自転車で単独でスウェーデンからやってきて、頂上直前で体調と相談して引き返したゴラン・クロップがすごい。あとでググったら、「人々も自然も尊重せずに山を利用し始めたすべての商業探検に対する静かな抗議」でそうしたのだと書いてあるサイトがあった。その主張をした人は無事下山し、商業登山の関係者は次の日大量に死んだ。特に主催の二人が亡くなったのがなんだか象徴的だ。
難波康子さんとベック・ウェザーズは助からないと思われて一度置き去りにされ、あとで戻ってきて見たら氷漬けになってたのにまだ生きていて、でもやっぱ救助は無理と諦められて、結果難波さんは亡くなったがウェザーズは復活して自力で第4キャンプまで戻ってきた。これもすごい。
頂上アタックまでにはみんなボロボロのヨレヨレのドロドロになってるとか、頂上の方はゴミと死体だらけとか、遠くから見る白亜の頂の現実がこれでもかと描かれていた。
地上よりももっと濃厚に欲望が渦巻いている。
にしても、ガイド付きの登頂って「自分の」登頂じゃないよなあと思ってしまう。