暑い、ピーカン

ゆうべは夜中まで雷が鳴っていたから、朝もどうせ天気は悪かろう、早く起きられたら山に行こう、起きられなかったら寝ていようと思って寝ていた。だいぶ早いうちから天気はすでに晴れだったようすだけれど、寝ながらtwitterを見たりして無駄に過ごし、10時前起床。シャワーも浴びたりしてどれだけ早くても出るのは11時で、それで行ける山と思ったが若菜さんの本は実家に置いてきてしまったし、ピンとくる山は行くまでに3時間も4時間もかかる。あきらめて、喜多見のbeet eatsにランチを食べに行ってみることにする。

空気が全部洗われてものすごく青く晴れている。

無人販売所に立派なきゅうりが2本100円で売っていたので買う。

途中まではバスで行く。最初左側に座ったが、直射日光をずっと受けることになると気が付き、右に移動。同じように左に座った老夫婦がやはり私の後ろの席に移動してきた。奥さんは上品で優しそうな雰囲気で、しかし口を開いたら今の人たちは誰もかれもがスマホさえあればいいみたいにして暮らしている、人とのつながりは一番大事だ、悲惨な事件もそのせいだ、といったことを、たぶんネットから得た情報を元にずっと話していて、その前でスマホを使うのもはばかられたがまあ堂々と使った。

降りてあとはずっと野川沿いを歩く。素晴らしい。すべてが原色できらきらしている。

水遊びの家族、生き物採集の親子などいる。水がきれいなのは、いつも掃除しているのか、昨日の雨で洗い流されたのか。

疎遠になった友達は同じ川の下流で川遊びイベントに参加中ということをFacebookの投稿でわかってしまう。複雑な気持ちだ。

 

レストランは並んでいて、10分ほど待って入れた。私より若いだろう女性店主はシャキシャキしてとても感じがいい。

 

横浜に移動してKAATの「ゴドーを待ちながら」平成バージョン観る。

 質問コーナーで質問し、更に余分に発言して、ああでしゃばりだとものすごく恥ずかしい気持ちで帰路。恥ずかしがるようなことではないのだ。

でもこうやって言いたいことがあふれてしまうならば、やはり表現をしていかないともうだめなのだ。

 

部屋に戻って、野菜に火を入れて食べる。

出る前に仕込んでおいたパンを焼く。ちゃんと焼けた。