10時ごろ起きる。
前回と同じルートで喜多見へ。野川沿いに歩く。前回いたのとたぶん同じカラスが、前回と同じようにぶらぶらと川の中を散歩していた。
店主さんは梅干しのワークショップに出ていたことを覚えていてくれて、少し話する。
高円寺へ。「玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ」展。
行く途中でやっていた古本市を、トークショーまで少し時間があったので覗く。100円の古い本の挿絵を買った。2艘の帆船が大砲を打ち合っている4コマ漫画のような絵。
古本市は売る側も買う側も普段関わっているのとレイヤーの違う人々でいっぱいだった。ズボンの両膝の穴をガムテープでふさいでいるおじさんが衝撃であった。
展示会場のコーヒーショップは小さい店内にぎっしり人が入っていて、トークショーの開始待ちか外にも何人も立っていて人気のほどがうかがわれた。
メインの本ではなく、木下龍也さんの処女作が響いたのでそっちを買う。背後でもう一人の著者岡野さんがサインを受け付けていて、しかし本にサインは私は欲しくない、のはなぜだろうかというと、本にはいつまでもaの存在でいてほしい、サインを入れたらtheになってしまうからなんだな、と気が付いて、その後入り口に置いてあったフリーペーパーを見たら、木下さんが自分にTHEのようなものが足りないという短歌を書いていて「うはー」となった。古本市で手に取った久世光彦の「怖い絵」は見返しにナントカさん宛のサインが入っていた。
トークショー面白かった。ゲストの女性も合わせて、それぞれに仕事を持ちながら作歌している3人。岡野さんが「パターソン」に一瞬言及し、おととい町田智浩さんの映画ムダ話の「パターソン」の回を聴いたばかりなのでこれまた「うはっ」となる。
だからどうともせず、出る。
金柑画廊で早川桃代さんの個展。とてもよかった。
夕食を食べながら「日日是好日」を観る。ビールを飲みながら足を投げ出して。いいうちのいい子の話を淡々と語っているのがよかった。雨の音。お湯の音と水の音。映画館で観ていたらむせび泣いていたかもしれない。由美ちゃんを少し尊敬した。
祖母からお茶を習ったことを思い出す。祖母とどうやって関わっていたのだったか。小学生のころ、憎まれ口をきいたら近くにいた弟を味方につけようとしたのを、卑怯な人だなと思ったことを、しばしば思い出す。しかし幼稚園の遠足にも、小学校の入学式にも、来てくれたのは祖母だった。それもまた、自分のときだけ母が来なかったという悲しみの気持ちのほうが強くて、ネガティブな感情ばかりだ。
鶴見辰吾がまったき善人をやっているのを久々に見た。