潔く寒い、晴れ

販売システム作ってる会社に問い合わせをした。折り返しかけてきた電話で担当の人が「男性のオオバさんという方に」と言うが、そのまま「はいワタクシです」と話を続けた。話しているうちに違和感を感じただろうか。男性と思ったままだったろうか。

 

ローソンで「もちもちチーズ丸」というのを売り出していた。店員の男の子に「チーズ丸のベーコン味」と言うが伝わらない。流し見でベーコンと思い込んでたけど別の味だったかと、2歩ぐらい離れたケースを覗き込んだが間違ってない。改めて「チーズ丸のベーコン味ですね」と言うがやっぱり通じない。外国の人かな?と見るが日本人だ。「もちもちチーズ丸の」とフルネームを言ったらようやく通じた。「もちもち」が本体だったのか。そして自分の中のある部分が「もちもち」と口にするのをかたくなに拒否しているのを感じた。たぶんファンシーを敵視する、カタカナをひらがなで書くことを軽蔑するのと同じ部位。チーズ丸は美味かった。

 

夜、「魂のタキ火」つけながらパンツ仕上げ。

それからダイニーマのペンケースにとりかかるが、ちゃっちゃと終わる見込みが「ソーイング・ビー」が始まって終わっても終わらない。いい加減にやるもんじゃなかった。しかも肝心の水彩セットが入らない。

映画一本観て寝るつもりだったけどそれどころじゃなかった。2時就寝。

今日は寝袋。頭部を汚したくないから普段の枕を入れると当たり前だけどジッパーは肩の下ぐらいまでしか閉められない。それでも平気なので今日は寒くないようだ。

 

 

 

「オアシス」のことをまだ考える。

本当はいちばんひどいのはコンジュやジョンドゥの兄たちだ。映画はそいつらを糾弾しない。ただそいつらの行いを描く。「ポエトリー アグネスの詩」でも、いちばんおぞましいことをするのは介護されてる爺さんの娘だったが、やはり示すだけでジャッジしない。現実もそうだから。

男が逃げない「ジョゼと虎と魚たち」だなあと思った。男も障碍者じゃないと成就しないのだろうかこういう関係性は(ジョンドゥはADHDのような何らかの治療を受けたら世間に順応することができるような症状持ちに見えた、しかし世間に順応することがまったくの正解なのか?異性愛者が同性愛者を見るとき、健常者が障碍者を見るとき、「こちら」に来る=治ることが正しいし幸せへの道と思うことは)。

アンサーソングのようなものなのかなーとか、思ったりする。が、「ジョゼ」は2003年で「オアシス」は2002年(日本での公開は2004年)だが。イ・チャンドン監督が小説を読んでいればその可能性はあるけど、たまたまかな。